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私は「豊かな自然環境を未来に残すためにアレコレ動きまわる還暦前の技術屋」です。
再婚した妻と札幌のマンションで2人暮らし、息子が札幌、娘が福岡、妻の息子達が東京と埼玉でそれぞれ独立してます。夫婦共に勤めを離れ、自営業やいくつかの団体の代表や理事そして大学の非常勤講師などをして暮らしています。自然の中で遊び、自然の恵みをいただき、それを仲間と分かち合うこと、その自然環境をさまざまな手段で残すために活動することを生きがいとしています。
住まいは地下鉄沿線で便利は良いのですが、高速道路と国道に面していて、騒音うるさく自然も少ないのが残念です。できれば私は星が降る自然いっぱいの田舎暮らしを夢見ているのですが、夫婦双方の年老いた親の問題や仕事などの課題を抱えて、プチ移住を試みるなど試行錯誤をしているところです。昨年2022年夏、妻が釜石の山間地にあるホースセラピーを児童に提供している「三陸駒舎」で空き家を借りて仕事をしていたので(妻はそこそこポンコツな繊細さんで、看護師だったり社会福祉士だったり公認心理士だったりな人です)、私も時々長期滞在させてもらいました。これからの暮らし方の大きなヒントをいただいたと思います。
生まれたのは道東の釧路市で1964年(昭和39年)東京オリンピックの年で、少年時代は道央小樽市の森・川・海のある自然豊かな地域で育ち、中学くらいからは天文や電気や音楽に興味が移って、道北稚内市の中学校を卒業し、道南函館市の高校に進んで寮生活を3年して卒業、大学は道央で農学部林学科砂防研究室に入って河川環境と水生昆虫に関する卒論を書いて5年でギリギリ卒業。その後雪印種苗株式会社に就職して緑化・造園・屋上緑化・自然復元などに28年間携わり、途中労働組合の執行委員長になったりしながら、札幌~東京~岩手~札幌で勤務し、東京勤務した30代にパニック症を発症して、その後も妻が身体障がいを負って長期入院する中、子育てしながらの辛く苦しい時期を10年くらい過ごしたりしましたが、2015年(平成27年)に51歳で退職しました。
40歳になった2004年、子どもたちが小中学生だった時、住んでいた実家の近くの排水路のような川(中の川)に魚やエビや蟹がたくさん居ることが、たまたまちょっと仕掛けてみた罠で分かり、身近な住宅地の自然も大切で面白いことを地域の親子に伝えたくなって「手稲さと川探検隊」を立ち上げ自然体験活動を始めました。2011年東日本大震災を目の当たりにして被災地で自分の自然再生の技術を役立ててもらおうと通い始め、防災施設の建設で壊される海浜の自然環境を取り戻そうと、仲間と「北の里浜花のかけはしネットワーク(はまひるがおネット)」を2014年に立ち上げました。会社を辞めた2015年に「(一社)手稲まちづくりネットワーク」を立ち上げて「コミュニティカフェめりめろ」をオープンさせ、2017年には地域の湿地をネットワークで守ろうと「石狩川流域湿地・水辺・海岸ネットワーク(しめっちネット)」を設立し、設立総会で湿地落語を演ってもらおうと林家とんでん平師匠にお願いしているうちに落語に誘われて湿原亭元五郎という高座名をいただきました。その後、NPO法人人まち育てⅠ&Ⅰを引き継ぐことになり理事長に就任し、野生植物の利活用(特に湿地の植物:スゲの〆縄づくり、エゾカンゾウの蕾・花を食べる、さまざまな野草茶など)と、自然環境保全を福祉・療育や医療分野と協働で行う「環福連携」について取り組んでいます。また2019年からは北海道科学大学で3年生必修「地域活動と社会貢献」の講義を担当し、毎年4学科250名を受け持ち、社会課題解決のための地域の活動から地球規模の取組みまで学ぶ手助けをしています。
何をしている人か分らないとよく言われますが、自分としては1つの軸・方向性に沿って、アレコレしているつもりです。少し変に感じる時もあるかも知れませんが、よろしくお願いします。
2023/03/26 鈴木 玲