あれから13年経って、60歳になって初めて札幌で静かに過ごしました。
僕らは被災者ではなく、すぐに現場に入って奔走した訳でもなく、現地がけっこう落ち着いてから、様子を見ながらゆっくりと活動に入りました。
お陰様で長くお付き合いさせていただきました。たいしたお役に立てた訳ではありませんが、寄り添ってもらって、美味しい酒と肴をいただきつつ、笑顔に包まれて、何度も伺うことができて、たくさんの学びをいただき、本当にありがたかったです。そのお陰か、ガンも消え、多くの仲間もでき、優しい気持ちでいられています。
当初、飛行機が不得意だったこともあったけど、被災地と日常のギャップが飛行機では埋められず、北斗星や急行はまなす等の今は無き夜行列車で行き来してたことが懐かしい。あのたいへんな状況の中、本当にたくさんの方々にお世話になりました。
こんなところでこんな人に会って、あんな人を紹介してもらい、それがこの活動に繋がったなんていうミラクルなことが、普段の数十倍の濃密さで起こりましたね。多くの生き続けたかった方の命に支えられた、背中を押されたと、よく思います。
2014年3月に立ち上げた「北の里浜花のかけはしネットワーク(はまひるがおネット)」も10年になります。
海岸を歩くと、どうしてこうなってしまったのか、もう少しどうにかできなかったか、悔しく思うこともたくさんあります。が、大切な自然環境をどのようにしたら残せるか、そのために多くの人に楽しさや美味しさを感じてもらってファンになってもらうにはどうしたらよいか、これからも考え、試し、やり続けていきたいなぁと思います。
今も消えることのない悲しみ、そして各地で繰り返される災害、少なくとも身近で起こることでは、経験を活かしてできることをさせてもらえたらと思う今日の日です。
宮城では、仙台岡田、名取閖上、気仙沼大谷の3校での海浜植物育苗植栽活動が続いているので、今月下旬に(名取川河口部でのヨシ原の野焼き、気仙沼大島での里山拠点づくりを主に)打合せに伺います。これからも遊んでくれたら、とっても嬉しいな。
活動をご一緒している石巻の僧侶の永松賢道さんに、2年前に牡鹿半島のある浜に連れて行っていただいた帰りに改めて震災の時のお話を聞きました。その頃はもう、暫くそのような話はしなくなっていましたが、いろいろ思い出した、いや忘れ去っていて今初めて思い出したと話されました。
そして「どうして海浜植物の活動を始めたのですか?」と伺ったら、「震災直後、ご遺体など多くが海辺の流れ着いて供養させていただきました。それから海辺に出てくるものは全て、津波で亡くなった命の生まれ変わりだと感じられるのです。だから大事にしたいと思うのです」といったことをお話されました。
改めて自分たちのやっていることの意義を感じさせていただいた機会でした。長く活動をしていると、こんな瞬間がたまにあります。自分の人生を、日頃の心がけを見直すチャンスを頂きます。
本当にありがとうございます。
活動紹介動画は👇こちら。ぜひご覧下さい。
https://youtu.be/rUpDHxkkIps
コメント